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ものづくりで始まる若手の活躍の場

更新日:2021年8月27日


建築学科

いろんな人が関わってくれて、みんな顔を見ながら作業できるので。そういうその、距離感というか、それがすごく好きだなって思って。」高坂玲音さん、八代千鶴さん、下山田彩人さんの3人は、リノベーションのおもしろさをこう語る。昨年から、しおりばや他の案件をきっかけに、いつも一緒にいることの多い3人でチームを組み、活動を開始。今までにしおりばの設計や、お食事処さゝ川の看板作りなどを手掛けてきた。自身らが携わってきた建築、その中でもDIYをきっかけに関心をもってもらおうと、ワークショップも行った。「DIYってこんな簡単に誰でもできるんだよってのを知ってもらう活動としてその、ワークショップとかあたりは行ってるという感じです。」と高坂さんは話す。建築に魅せられた3人は、そういった活動の中で、方向性は違えどもそれぞれの強みを発揮している。

3人は、矢吹町でこれからも活動を続けていく。その先にある未来を、こう描く。「みんなで一緒にワークショップ形式で建物を作っていくっていう、建築設計事務所を作りたいなとは今思ってまして。」「自分の持ってる知識とか、技術とか、その建築の分野で、もっと人を取り込めるような地域にできないかなっていう感じで、地元に戻ってちゃんと仕事がしたいなって思ってます。」「(都会の)機能美の良さとか、社会システムみたいな。そういうところで、補助に入れたりとか、裏方で、何かできることはないかっていう風に考えたりはしてます。」これからの建築業界、地域に新しい風を吹き込んでいくであろう3人の未来の姿が、目に浮かぶようだった。






3分くらいから  3:40自分の自己紹介 4:15~

高坂:はい、えっと日本大学工学部3年の、建築学科3年の高坂玲音って言います。地元が福島県で、そのまま大学へ上がってきました。大学入ってまあ、1年は特に、学校の設計課題に追われて何もしなかったんですけど。まあ2年から、このしおりばに誘ってもらって、こう、飯塚さんにいろんなこう、地域の人に繋いでもらって。まあいろんな学生をまあ、その場次第でこう、メンバー変えながら巻き込みながら、いろいろやってます。

八代:はい、ええと、同じく建築学科3年の八代千鶴です。出身は群馬県なんですけど、ええと、玲音くんと同じく、なんか2年から飯塚さんにしおりばの方、声かけてもらって、やり始めて、そこからこういう活動し始めたっていう感じです。それまでは、今年の冬、今年始まったぐらいまでは、他のサークルにも、大学の方、活動を、所属してたんですけど。そっちから離れて、今こっちの活動に専念してるっていう感じです。

下山田:はい、えっとまあ、建築学科の下山田彩人といいます。まあ、まあ出身はあの、飯塚さんと同じ神奈川県出身で。一応、そうなんです。一応あのなんか、大工担当みたいな感じでまあ、やっております。今回は、こっちの方にはまあ、玲音くんから声かけてもらって、参加してるところで。ええまあ、これからも、まあこういう活動とかをして、なんか自分の将来的なものに、繋げていけたらっていう風に考えています。

―自分を何かに例えるとしたら? ~08:20

下山田:僕が、植物で例えてたんぽぽですね。いろんな、そういうまあ、風とか流されつつ、まあそこで止まって何かをしてるとか。まあそういうところがもう、感じは生きてきてる、感じ、そんな感じがかなり多いですね。

―結構その場所で力強く根を張って適応して生きて行くみたいな。

下山田:そうですね、いろんなところに適応していく感じですね。

―おおー。

八代:あ、じゃあ私行きます。家電に例えるとしたら、家電に例えるとしたら冷蔵庫。なんか、結構どっしりしてるじゃないですか、冷蔵庫って。なんか割とどっしり構えてるっていうか、肝が据わっているように見えるみたいな風に、周りの人から言われることもあって。なんか、冷蔵庫本体外から触ってみると、温かい部分というか、熱い部分とかあって。なんか結構やる気もあるなみたいな風に、すごいやる気あるじゃんとか。結構友達に言われたりするんですけど。中身は結構冷静というか。冷めている部分もかなりあって。いろいろと、もう考えて考えて、考えまくって、さばいているっていう感じです、中身は。

10:05(タイムスタンプ)

八代:っていう意味で冷蔵庫かなって。

―安心感と、2面性を持ち合わせている。すごいいい喩えですね。

高坂:僕は気象に例えて台風で行きます。あの、今まで僕のなんか、自分の強みというか、1番はフットワークだと思ってて。なんか、台風ってぽっとどこでも行くじゃないですか。今日北海道まで来たんかいみたいな、感じで。いろんなところに行って、でぱっと周りの人を巻き込みながら、そこに行って大雨というか、なんかこう、シャーっと降らせて。またどっかに行くみたいな感じがするんで、まあ移動するのか、人を巻き込んでなんかやるみたいな感じで台風かなーってと思います。たんぽぽめっちゃ巻き込まれちゃう。

たんぽぽはめっちゃ巻き込まれた末に、ここにたどり着いたっていう感じなんですね。

下山田:そうかもしれないです。

―今まで3人がやってきたことをお聞きしたいです。

八代:しおりば、まず最初に声かけてもらって始めたところ、あ、そこがもうスタートだったんですけど。私は最初は、なんか、また別の友達から、こういう場所を作るから、その設計とかに携わる人がほしいみたいな感じで、声をかけられて。そこから参加させてもらった感じだったんですけど。そこで集まったメンバー的に、設計をやろうかっていう感じで、設計というか。初期段階の本当に、今の完成形とはちょっとまた違う感じにはなってるんですけど。最初期の後に、内装の設計をしました。

―結構前の内装のイラストみたいなものを書かれたのはもしかして八代さん?

八代:そうですね。

―そうなんですね。お2人はどんな感じでしおりばに関わってこられました?今までやってきた事についてお聞きしたいです。

高坂:しおりばは、僕と八代さんの方、このメンバーで作ったんですけど、その、飯塚さんの知り合いの後輩から、●●でこんなとこあるよってって言われて。もうちょっとなんか、ワークショップで参加して、何かあったかわからないですけど、突然学生にやってって。たぶん、●●させてもらって。1番しおりばにいた時間は全然●●と思います。いや僕普通科上がりで、他の人たちほぼほぼ建築学科だったんですけど、知識量が圧倒的にない中、どうやっていいのかなってのは、ずっとやってきたんですけど。1番専門的には働いてない、よね。

―建築として専門的に何かをやるというよりかはコーディネーター的なポジションですよね、高坂さん。

高坂:まあコーディネーターは別にいたので本当によくわからないけど。

八代:ものづくりはできた。

高坂:ものは作ってたね。

八代:電動工具について強いっていう。

―下山田さんはどうですか?

下山田:そうですね、僕はなんですかその、飯塚さんと活動したのはまあ結構最近な感じで。まず、トイレかな。

高坂:トイレが初。

下山田:そのぐらいにやったのがその、白河の地域おこし協力隊の●●さんのとこでやってた、田舎ラウンジっていうのの装飾デザインとかを考えるっていうところが、始まりでしたね。

―皆さん得意分野がばらばらですね。

高坂:田舎ラウンジも飯塚さんが、●●?飯塚さんから、●●から、学生を探しているって聞いて。それで、なんか毎年●●だって、●●使って、で、あ、1人でもいいよなーって思って。ああ、下山田くん巻き込もうって巻き込んだんです。俺巻き込んで白河行きましたね。まだ八代さんと下山田くんが知り合ってない。

―下山田さんとその他の2人は、どんなタイミングでしおりばに関わり始めたんですか?具体的な時期はいつ頃?

高坂:2年の頭、5月とかにちょうど八代さんが、飯塚さんの後輩?友達?知り合いの、後輩経由で繋いでもらって。5、6、7、8月くらいですけど、●●ですけど。この8月ぐらいで、●●さんが飯塚さん経由で僕が知り合って。8月なってから僕と下山田くん2人で田舎ラウンジできて。僕と八代さんと他の建築学科のメンバー3人くらいで、5人の方でしおりばやってってこう、感じでこう、なんか僕と八代さんと皆さんと、彩人君みたいな感じでこう、それで進んでは行きましたね。

―中心に高坂さんがいて、メンバーが入れ替わり立ち替わり。

高坂:でも、10月ごろ結局八代さんも田舎ラウンジ入るんですけどね。

―どんなところに興味を持って関わろうという流れになったんですか?

19:20(空白開始)~20:04(タイムスタンプ)

―全体像をお聞きしたいです。20:45

高坂:8月ぐらいまでが今話した感じです。

しおりばをその玲音くんとか他5人ぐらいのメンバーでしおりば作り。

―他の2人はちなみに今は。

高坂:まあ、一応日大に同級生で3人ぐらい、3人います。まあそれぞれそのまた後でお話するそのサークルのほうにたぶん残ったりとか、いろいろしてますという。

―また全体像に戻って。

高坂:はいえっと、しおりばが8月まで行ったんですけど、8月ぐらいで僕と彩人くんがその田舎ラウンジってイベントの方に行きました。時が流れ、10月ぐらいで、田舎ラウンジが確か、実質できたのは2回なんですけど。2回だよね、彩人。でそのあと、まあ10月ぐらいに第2回の田舎ラウンジがあったんですけど、その時に、この、僕が八代さんの方も誘って、ここで、まず3人で田舎ラウンジで入って、たぶんそこで下山田くんと八代さんが初めてこう、一緒に、やったかなとは思います。でその後、11月にしおりばを作成しました。

―時系列順にしっかり覚えてるんですね。

高坂:なんか、ばっちり詰まってるんでなんか覚えてるんですよね。あはは。でこのあと12月に入りまして、12月のその頭ぐらいから、僕もその白河のコミュニティカフェ、EMANONに行きまして。今のとこあるんですけど。ここで初めて、行ったあと、なんか建築学科の人で、イルミネーションやってくれる人いない?との誘われまして。僕がちょっと、イルミネーションの方行って、いろいろ話していたんですけど。それで、実際に作るときに、僕1人じゃどうしようもないなってことで、そこでまた、白河に入った段階で、人を巻き込み。八代さんと下山田くんと、あと他、2人かな。2人ぐらい巻き込んで、イルミネーションをやりました。で1月は、たぶん何もしてないよね。テストと設計で。ああ違う、サークルとかいろいろあったんだよ。

八代:そこがごちゃごちゃ。

高坂:そこがごちゃごちゃごちゃごちゃと。1月になりまして、ちょうど今いる僕たち3人で、なんか結構、このメンバー入れ替えながら、活動はしてるってさっき言ったんですけど。その中でも、この3人がだいたいコアメンバーで。いつも一緒にいるので、この3人、3人でいる前提で、ちょっとメンバー、チームを組んでやろうかってことで、2月から本格的に3人で活動が始まってきました。

―前半の8月の部分をもう一度聞かせてほしいです。

高坂:5月に僕と八代さんがしおりばに入りました。で、6、7としおりばを、設計とか、いろいろし。8月に、僕と下山田くんが田舎ラウンジに、最初に来ました。そうです、まだ2月以降があるんです、ははは。

―2月以降も聞かせてください。

高坂:2月の終わりは、だいたい3月から、その矢吹にあるさゝ川さんっていうご飯屋さんがあるんですけど。僕の方から看板を作ってくれないかってのちょっと、飯塚さん経由でお願いっていうか依頼がありまして。

仁井田くんだねあれは

高坂:仁井田くんですか。じゃ仁井田くん。仁井田くんもうご存知ですか。じゃあ仁井田くん経由で、紹介がありまして。これがこう、僕たち3人でやった、1番最初にやったこう、ちゃんと3人でまとまってやった、最初活動かなって感じです。その時も、追加で1人か2人か入れたりはしてました。でえっと看板作って、そのあとはトイレ、うん。の前にキッチンカーか。キッチンカー違う違う。8月?4月から運営した、3月からなったけど。

実家にいて配線が悪いって言ってた

高坂:その前にワークショップやってる。あれ、ワークショップどっち?ワークショップ先か?看板作りの前にあの、EMANONでワークショップをやってました。そっちがすみません、先で最初に活動したやつです。

―DIYがあって。

高坂:そうです、DIYワークショップをまあ一応、その日来たのはあの、福島県に残ってた僕と八代さんだけなんですけど。まあ企画段階はその、下山田くんも一緒にやってくれて。そして、2月がワークショップですね、DIYの。で3月に看板作りです。で、4月からさっきこう、田舎ラウンジをやっていたクノさんって方がいるんですけど。クノさんとそこで、白河にある、そのきつねうち温泉ってところの、リノベーションと。あと一緒にキッチンカーを作りたいってことの依頼が、ちゃんとありまして。4月はその、キッチンカーとその、えっとまあきつねうち温泉のリノベーションの計画を立て、で5月からキッチンカーを作り始め、キッチンカーのその、まあ大体の壁とかができたって感じで、今に至ります。トイレも作りました、そして。トイレは2週間前ぐらいですかね、5月の初めですね、たぶん。

こどもの日だ。

高坂:そうだ、ゴールデンウィーク。関係ねつってやったんですよね。追加でその、2月でその3人でチーム組んだって話したんですけど。その前段階として、僕と八代さんが同じサークルに、1年生から入ったんですけど。その中でこう、いろいろとごちゃごちゃごちゃごちゃありまして。で、サークルの中で僕と八代さんが結構活動していて。僕達がなんか、サークルとやること違うよねってことで、じゃあ2人でちょっと独立しようかっていうのもありまして。で2人で独立しようってなったのと、もともと下山田くんが一緒に活動してくれた。じゃあ3人でやろうってことで、今3人でやってるっていう、ですかね。ですね、きっと。

―サークルではどんないざこざが?

高坂:えっと、僕と八代さんがいろいろやろうって突っ走って、サークルメンバーが、うーん、飲んでればいいかなって言われて。じゃあ、さいならっていう。

―熱量に違いがあったんですね。

高坂:そうですね。

―熱いメンバーが揃ったんですね。ちなみに、どういった経緯で建築を志そうと皆さんはされたんですか?

八代:目指そうとした話すると私、1番濃い。

30:04(タイムスタンプ)

八代:もともと、ビフォーアフターっていう番組が。あれを見たのがもう、きっかけというか。あれ見たっていうか、小学生ぐらい。小学校低学年ぐらいで、そこからもう、その、現場で働いてるのとか、家をリフォームして、そのリフォームをしてもらったお客さんがすごい泣きながら喜んでるシーンとかもあって。え、この仕事かっこいいみたいな。のを、小学生ぐらいから思ったのが、ずっとその気持ちが続いてる感じで。小学生の時はそれでずっと建築がおもしろそうとか、かっこいいとか、そういう、大雑把な感じの、で続いてたんですけど。それが、中学生になって、中学校の職場体験で、建築の設計事務所に行かせてもらえて。もう、そこで体験して、もうこれはやりたいっていう。で、そのまんま、じゃあ実家の近くに、一番近いところにあった高校が工業高校だったんで、ああじゃあもう工業行って建築やろうっていう風に。そのまんまもう、やる気のまんま上がっていった感じ。

―中学生の頃、設計事務所に体験に行った時に、設計のどんな作業、どういうことにやりたいって思われましたか?

八代:最初はむしろ設計っていうよりは、その小学校から続いてたやりたいの方、大工さんの方だったんですけど。でもなんか、先生に、お前力仕事できなそうって言われて。なんか、設計事務所だったら、先生の知り合いがやってるから、連絡つけるよって言われて紹介してもらって、行った感じです。

―そうしたら、今は設計に関することが専攻?

八代:学校でやってるのはそうですね。学校でも、本当に、実習というよりは座学ばっかりなので。本当に、紙の上で書く設計ばっかりで、大工系の施工とかは全然やらないので。それは、高校の方でやってきた感じで。

―今までのこういった取り組みの中で、どんな瞬間に楽しさや、もっとこういうことをやり続けたいという気持ちが芽生えますか?

八代:やっぱり完成して、作ってほしいという、依頼をしてくれた人が、ありがとうございますって言ってくれた時というか。自分で完成した瞬間も完成したっていう達成感はあるんですけど、感謝の言葉をもらったときは、めちゃくちゃ嬉しかった

―ビフォーアフターからここまで一直線にここまで来られたんですね。

八代:そうですね、気づいたえら、気づいたら今も。

―じゃあ下山田さん、高坂さんどうですか。

高坂:俺そんな深い理由ないからお先どうぞ。

下山田:俺もふわっとしてるよ。えっと、じゃ僕の方が先に。僕が建築今、こう関わってきてるのはまあ、1番はたぶんその、親の影響があったのかなと。親がまあ一応、建築系の、内装事業系の、まあ仕事をしてて。まあそこがとっかかりで、そこから一応その、中学の職場体験とかも一応、工務店の方とかに参加して。そこから、高校で建築、建設系の学科の方に入って。そこで建築を含めて行って、なんか意外とおもしろいなと、やっぱり。最初の判断はそんなに間違ってなかったんだなっていうので。こう、こっちの大学の建築学科の方に来て。でまあ、オンライン授業というこう、形になって。意外とその、なんか、やる、何かをやる作るっていうことが無くなってしまったので、こういうプロジェクトに参加して、身になるものとか、まあ、そういう系をなんか身につけたいなと思って、今こう、活動に参加してたりとか、建築にこう、関わっていこうという感じに。

―中学、高校と建築を深めてきて、意外とおもしろいなって先ほどおっしゃったじゃないですか。

下山田:はい。

―その意外とおもしろいなというところはどんなところですか?

下山田:そうですね、あのまあ中学の時は、住宅の方の、まあ作業というところで、家ってこういう風に作られているんだっていうか。そういう興味関心が湧いたっていうのと。あとあの、高校の方が結構あの、実践的なものを優先的にやっているところだったので。その、いろんなまあ、作るっていう実技系が多くて。こういう風にこう作られていくんだなっていうのがこう、すぐにわかってきたんで。中でこう、興味がどんどん深まっていく感じがありました。

―そのできていくまでの過程を見ることにすごくおもしろみを感じられたということですね。

下山田:そうですね、過程けっこうおもしろくて。それが最終的に、こういう家とか、ビルとか、そういうものになっていくっていうのはおもしろいなって思った

―身になるものを身に付けたいっていうのはどういう思いから芽生えてきたのですか?

下山田:身になるものっていうとたぶんその、技術系に関して、まあ今回けっこうその、まあトイレ作りもそうですけどけっこう、要は作る過程でその、けっこう技術が求められるところとかあったりして。やっぱそこらへんがなんか、できるようになっていけば、そのなんか、他にもなんかいろいろなことに、いろんな建築以外にもなんか、それを飛ばしていけるんじゃないかなっていうことを、思ったんですね。

―多分野で求められる人材、そういう風になりたい、その方がおもしろそうって思ったという感じですね。

下山田:そうですね。

―高坂さんお願いします。

高坂:えっと、そうですね、僕の理由がすごいお2人に比べると軽いんですけど。なんか、昔から本当よくある話で、ものづくりがめちゃめちゃ好きだったんですよ。ちょっと、なんか、5歳から10歳ぐらいまでって、もう誕生日レゴブロックしかもらってないぜぐらいの勢いで。家にあの、引き出しが3段ぐらい全部レゴブロックで、埋めつくされてる引き出しがあるんですけど。っていう生活を送っておりまして。なんか、いろんなとこ行っても、建物おもしろいなと思って。日頃からとか、旅行とかで見てたんですよ。で、それがずっと積み重なってきて、中高で、けっこうイベントを組むのが好きで。その、イベントを組む系の仕事もなかなか、学校校内のやつやったんですけど。で、将来の夢もないまま、普通科の高校に進学し、高3まで何も考えずにぼけっと過ごし、どうするかなってなったんですよ。そこでじゃあ、今までずっと好きだったものづくりと、そのなんか、チームで企画組んで、なにかをすることを掛け合わせると、それって建築だなってのを思って。であれば、建築科に、学科●●もってのその、高3の6月ぐらいに思い始め、で高3の8月にはAO入試で決まってましたという。

―怒涛ですね。

高坂:本当に、本当に怒涛でした。でまた大学入ってからも、すごく結果的にその、ものづくりと、チームで何かするってのがすごく自分であってるなと思ってて。あ、今はすごく楽しく、やってはいますねっていう、すごく、ぽかーんとした理由です。

―建物がおもしろいっておっしゃっってましたが、どういったところにおもしろみを感じているのですか?

40:35(タイムスタンプ)

高坂:例えばあの、ちょっと昔のこう、武家屋敷街とかあるじゃないですか。あれとかって割とけっこう修学旅行で回されたりするんですけど。僕けっこうそれが逆に好きで。見ながらなんかその、こういう風に使ってましたよってのも描いてるのを想像して、なんかこう、こここうなってるかなっていう使い方を想像するのも楽しいですし。その、2、300年前に今の人じゃ思いつきもしない方法で、こんな風に屋根作ってんだとか、見るのががなかなか楽しかったという記憶がありますね。てかなんか、旅行行って、僕だけ見てて、みんないなくなって。ちょっと待ってくださいよみたいな。

―確かに。同級生あんまり興味持つ人少ないかもしれないですよね。

高坂:そうですね、修学旅行のお寺とかみんなめちゃめちゃスルーするじゃないですか。あれとか好きだったんですよね、けっこう。それもあって、建築好きだなとは思ってました。

―中学の時にイベントを積むのが好きだったというのは、どういった経験や思いがあってそう思うようになったのですか?

高坂:なんだろうな、みんなでなんか、1つのこういうの作りたいよねという思いを、こうバラバラな人たちが、今もすごくそうなんですけど、なんかやりたいことは合ってるけど、できることが全然違う人たちが集まって、それで皆で話しながら同じものを作り上げるというのはすごく、なんかチームで作るのが好きだったんで。それがそのまま建築にも生かされているなって感じでは、です。

―これから、この3人で何か企画されていること、依頼はあったりしますか?

高坂:そうですね、まだキッチンカーとそのきつねうち温泉のリノベーションはまだ完成ししてないので。もうキッチンカーは作り始めて50パー行ってないんですけど。本当その、●●が全く作ってないので。まあそれが、直近にみんなでやる活動で。もう1つあって、福島の湖南町っていうとこがあるんですけど。そこでリノベーションするって活動があったんですけど、それが本当に、3日前とかに無くなってしまい。今、じゃ今年の後半、3人でやっぱなんかいろいろやってきて、リノベーション系がやっぱ3人でやって楽しいなって感じになってるので。そういうものの活動を、今探している所ではあります。

―そうなんですね。リノベーション系が楽しいなという結論についてですが、リノベーション系をやっていて楽しいなと思うポイントはどういったところですか?

下山田:はい、そうですね、既存のものとかを改修していくっていうのは、何かいろいろその、新しい、あの、完全に新しいわけではないですけど、なんかこう、その、あるものに自分たちが作ってきた要素を、プラスするっていうか。のができるっていうか、のが、とか、おもしろいなっていう。いろんなアレンジが自分たちでこう、生かされたりとかするので。

―もともとあったものに、自分たちの色を入れていくのがおもしろいという。

下山田:そうですね。

―おふたりはどうですか。

八代:はい、ええと、私はあの、さっき玲音くんが言ってたみたいに、古い建物を、その古民家とか、●●な建物とか、が元々好きなだったんですけど。それの、リノベーションってやっぱり、建物の外、外は残して、構造的な部分は残して、中身を変えるっていうものなので。その古い、古くから残っている、古くから残っているっていうことはその、構造的にも強いっていうことで。それを、残しつつ、その趣ある建物の外観とかを残しつつ、今の自分たちの現代の、生活のしかたで、その建物をまた使えるっていうのはすごく良いなっていう、感じですね。

―高坂さんはどうですか。

高坂:はい、えっと、今度僕が1番これに関しては長くなっちゃったもんで。もともと僕がリノベーションが好きってのがあるんですけど。その、ええと、建物を作るときになんか、けっこう、今の人たちというか、建築の業界が今は変わりつつもあるんですけど、その新しく大きなものを立てれば解決●●的なスタンスがすごく強いんですよ。いわゆる箱もの作りなんですけど。これが箱もの作って、大学入った瞬間から、建築業界気持ち悪いなとはなんか感じたんですよ、なんとなく。それをなんかその、新築以外でやる方法はないのかなとか、いろいろ探していた時に、リノベーション、リフォームとは違って、リノベーションで解決するのってこう、なんか学びまして。既存のものを、形を変えるだけじゃなくて、形プラス使いかたまで変えようとすると、建築とはちょっと離れるようには聞こえるんですけど、すごくそこは楽しいなと思って。もう新築ではなく、いろんな建物をどうにか活用したいなとは、そこから始まりまして。その建物を改修すると、さっき下山田くんも言ってくれたんですけど、そこのもともとの物語って必ず存在するじゃないですか。そこをいかに汲み取って、その次の、別の活用の建物に生かしていくかがすごく楽しいなと思いましたね。あとやっぱこう、リノベーションする人って、施主に熱意がすごくあるんですよ。なんか新築にももちろん熱があるんですけど、けっこうやっぱこう、新築、お願いしますって感じだと思うんですよ、皆さん。やっぱりリノベーションはその、今ある建物、自分が所有していたもので、自分、その施主と、こっちのデザイナーとが一緒に、こう、どうやったら、もっといいものが作れるかなとずっと話しながら作っていくものな感じがしてて。そこがその、顔の見える建築というか、僕は思ってるんですけど。やっぱ大規模な建物だと、その、本当に、毎回現場の人も変わってしまうし。誰が使うのかも、誰が使う人サイドかよくわかんないんですけど。リノベーションのような小規模になってくると、いろんな人が関わってくれて、みんな顔を見ながら作業できるので。まあそういうその、距離感というか、それがすごく好きだなって思って、リノベーションがいいなとは思ってはいますね。

―それぞれ皆さん3人が持ってる、古民家や古い建物への思い入れをもうちょっと詳しく聞きたいです。

50:01(タイムスタンプ)

八代:ああ、はい、はい。えっと、建築はまあ、小学校から好きだったので、建物見るのも好きだったし、大工さんの仕事ってやっぱり木造で、なんかこんこんこん音させながら建ててるみたいな。のを見てたので、木造がやっぱり好きなので。この古い建物って、木造が多いから、見るのすごく好きだったんですけど。やっぱり、修学旅行とかでお寺とか●●とか見に行くと、すごい細かいところまで、屋根の隙間とか、床下とか、彫刻とか。細かいところまでまじまじと見て、昔はその、機械とかない。全部手作業の、技術で職人さんたちがここまで大きいものを作り上げたんだなあっていうのが、すごいなあっていうので。ずっと感動しながら見てて、友達に置いていかれるっていう感じでした。だから高校の、工業高校の、敷地のすぐ隣が、天満宮で、神社だったもので、はい。その高校でのグループ設計とかがあったんですけど。それの内容が、その神社をスタート地点として、その歴史的な町並みが残っている地域だったので、そこの再利用みたいなのを考えようっていうのを、グループ設計でやって。この神社を、私が3Dのソフトを使って、復元するっていうのを、5時間ぐらいかけて頑張って神社を建てて。っていうのがあって。すごい、細かい構造まで見る様に、まあ本当に、なりました。木造で出っ張ってる部分とかを、この、すぽってはめるみたいな。飛び出してるところが、何かパズルみたいですごい、すぽって入った瞬間気持ちいいなみたいなのがあって。まあそうやって組み合わせていってできていくんだって、すごいなっていう。ていうところからも木造は好きでしたね。

―おふたり、どうですか?

高坂:下山田くんは古い建物あまり好きじゃないよね、たぶん。

―好きではない理由も聞かせてください。

下山田:いやあの、僕の好きな構造的にはあの、どっちかというと古民家よりも商業ビルとか、ああいう、大規模建築物の方なんですよね。まあその、僕地元が一応、鎌倉の方にあって。あのまあ、神社仏閣系に触れる機会が多くて、一応そちらの古民家とか、そういう方面にも、興味はある方なんですね。まあただその、本当に自分が、その何をやりたいかって言われるとたぶん、古民家よりもたぶんその、ビル系とかの大規模建築系になるのかっていう。

―どうして大規模建築系の方が?

下山田:それはあの、あの、なんて言うんですかねその、外観的な、近代的なあの、感じが好きなんですよ、こう。これすごい伝わりづらい。

―ガラスがたくさんあって。

下山田:まあコンクリートの壁面だったりとか、鉄骨が見えている、躯体(くたい:建物の主要な構造体、又、骨組み)が。要はその、木造建築だとその、躯体が表に出るっていうのが、今の建築だとなかったりしたりして。その何て言うんですかね、あの高さを出すっていう技術もすごいと思ってますし。何て言うんですかねもう、木の温かさとかは普通にあるの感じますけど、そのコンクリートとかの、その冷たさとか、スタイリッシュさとか、僕はそっちの方けっこう好きだったりするんですよね。

―リノベーションする対象が好きというよりかは、イノベーションでできる作業のその流れの一端が好きという。

下山田:あ、そうそう。

―高坂さんどうですか?

高坂:僕やっぱこう、人の繋がりとか物語がすごく好きなんですけど。この、僕もその、古民家の木造がすごく好きで。やっぱ昔ってこう、最後梁上げる時って、地元の人を呼んだりしたんですよね。みんなで梁上げるかーって、よいしょみたいな。まあ、大工だけでやる時もあるんですけど。もちろん大工が少なくて、宮大工3人のときは、男の人たち集まって、あげてから、屋根に乗るとかいう、ああいう工程もその、作っている過程でいろんな人が関わってるのって、すごくいいと思いまして。その、近代のその建築がそれがないってわけじゃないんですけど。まあこう、なんですかねこう、鉄骨組む専門、コンクリ打つ専門が来てってなんか、仕事してきて、ばーって作業して帰るってよりは、大工さんがその建物を建てるために、そのまあ、マックス1年とかたぶんいると思うんですけど、そのくらいの間いて、やっぱその間ってこう、地元の人って通るじゃないですか、そこは。その時とか、コミュニケーションが生まれたとかして、そこらへんもすごくなんか、あたたかさがあっておもしろかったり。そこは想像でしかないんですけど、実際こう、木造建築の屋根裏とか見ると、その時の痕跡が残ってたりするんですよね。

―どんな痕跡が残っているんですか?

高坂:墨付けなんですけど。あのその、当時の職人さんが鉛筆で書いたマークが残ってたりするんですよ。なんかそういうのを見ると、本当に、ああ、職人さんがここにいたんだなってすごく感じて。職人さんがいたから、じゃあ地域とも繋がってたんだなとか。その、なんつうんだろう、人の繋がりが想像できるのはすごく、僕にとってはいいなとは思いますかね。その、その考えからで今ちょっとその、僕がやりたいリノベーション像として、その作る人と、使う人と、あとはまあ、考える人というか。また施主と、施工者と、使用者が、こう一緒に作るワークショップってのも少しやりたいなって将来的に考えていて。なんかやっぱりその昔の日本の、古民家とか作り方とかにすごく繋がるのかなって思ってて。ワークショップすると、なんかやっぱ作るときって、施工する人が来て作るのがメインなんですけど。そうじゃなくて、施主さんにも入ってもらって、壁塗りますよとか、あと街に向かっても、明日床張るんで来てくださいとか。そんな感じでこう、町に開きながらワークショップすると、その人の繋がりもできるなと思いますし。やっぱ、開店しちゃったらもう、自分が塗ったテーブルとかってすごくおもしろいじゃないですか。そういうのも、絶対やりたいなと思ってて。しおりばでけっこうそれに近かったんですけど、それを現代のリノベーションという方法で考えてるんですけど。まあそれと昔ってやっぱ、大工仕事って、そもそも●●だなって思ってたんですよね。ちょっと●●では、そういう意味でもなんか、古民家の、古民家の作り方も好きです、リノベーションも好きなんで、とりあえずやっぱ、古民家のリノベーション、をやっぱ組み合わせたら楽しいだろうなっていう。その建築学科に入った理由と同じなんですけど、こんな感じで、考えてはいます。

―こんなこの3人でいろんなことをこう積み重ねていったその先に、3人の展望などはありますか?

高坂:個人の企みはある。ふたりは。

八代:私は、私はやりたい仕事をやらせてもらってる感じだから。

高坂:基本的に僕のなんか、ほっつき歩いて、持ってくる人なんで。たぶん僕が1番あれかなって。最終的にそのスキル面とかいろいろ含めて、これを作りたいなとは、ちょいちょい前から話してて。トイレは作ったんですけど、その、学んできた、その材料をどうするんだとか、作り方どうするんだとか、いろいろ、やっぱリノベーションしてくると学んでくるんですけど。リノベ、でもまあリノベーションでも小屋でもどっちでも可なんですけど。なんかこう基本的に僕たちこう、完璧に、依頼されて作ってるのが今主なんですよね。やっぱお金とかも、場所とかも、ちょっと学生じゃどうしようもないとかもあるんで。そこ、そこじゃなくて、やっぱクライアントがいるのって大切なんですけど、こう、なんでしょうね、もう少し僕たちメインで最後にこう、何て言うんだろう。もちろん、お仕事でやるのが楽しいとはずっと話してきたんですけど、そうではなくて、やっぱ自分達の為とまではいかないですけど、もっと学生メインというか、地域の人のために作りましたよりは、けっこう福島県学生に優しくない環境がありまして。まあ日大周辺に学生の居場所がないというのが1番だと思うんですけど。やっぱりカフェもなければ、フリースペースもなく。学校とお家しか行かないでねっていうスタンスがあるんですけど、長森駅周辺。なんか、それを改築する、僕もすごい個人的な企みなんですけど。学生のカフェとか作れたらすごくおもしろいなとか思ってまして、長森駅周辺に。日大生がもう作っちゃって、日大生が運営して、日大生が考えるってのがあっても。けっこうおもしろいんじゃないかなと、ちょっとは思ってますね、そのくらいで。でもやっぱ、僕たちの基本的なスタンスとして、建築、一応建築士というか、建築科なので、やっぱクライアント入がいて、お願いして、それに応える形なので。こう、継続してお仕事もらって、この施主さんに喜んでもらえるようなことが、続けていけたらいいなとは思っています。

1:02:43(タイムスタンプ)

―居場所がないんですね。

高坂:それですね。たぶんもうあの、学生のなんか、いろいろしがらみがあるんですけど。あそこの地域でまずご飯屋さんが無いんですよ。普通、学校の近くって学生食堂は必ずあるじゃないですか。なんか、ないんですよ。なんか、ラーメン屋さんがよくわからないのが2つあるくらいで。学生専用大盛り食堂っていうのも存在しなく。放課後行けるようなちょっとオシャレな、やる気あるぜみたいな学生がカフェもなく。ゲームセンターもなければバッティングセンターも無いという、カラオケもないという。

―逃げ場がないんですね、本当に。

高坂:ないんですよね、本当に何もなくて、日大周辺は。なんか、なんか働いてんじゃないかなってぐらい、何もないんですよね。なんかそんな感じがしてて。

―なければ作ってやろうと。

高坂:感じですね。僕達も、日常生活でも、無いなら作ればいいんじゃねって、最近めちゃくちゃ言ってて。

―それはどういった経緯で皆さんそう思うように?

高坂:例えば直近だと、僕と下山田くんなんですけど、この壁に30センチぐらいのテーブルが欲しいなあって言って。ニトリで30センチはないよね、じゃあ作ればいいんじゃねって言ったりとか、してますね。

―身近にDIYできる人がいると生活が豊かになりそうですね。

高坂:なんかそういうのもあって、白河のそのワークショップとかも、やってたりはするんですよ。DIYのきっかけづくりをしようってことで、この会場の山野さんが、高校生に向けて考えて、なんかあそこもDIYで作ったので、工具がそこそこあるんで。工具とそのDIYできる環境をもっと、高校生に知ってもらうことで、僕たちが入って、本当にきっかけ作りってことで、まあ電動工具も使わない、楽しむ、楽しいというか楽な作業というか。DIYってこんな簡単に誰でもできるんだよってのを知ってもらう活動としてその、ワークショップとかあたりは行ってるという感じです。

―このプロジェクトをやっていきつつも、なりたい自分像、将来の夢などはありますか?

高坂:僕は一応、直近ルート、就職ではなく、進学をしようと思ってます。日大にきっと、2年ぐらい休学しようかなと思ってるんですけど。あはは。今やってる活動がすごく楽しくて。その、でも、そのえっと、最近見つけたインターン先なんですけど、僕がさっき言ったような、そのみんなで一緒にワークショップ形式で建物を作っていくっていう、あの、設計事務所さんがあるんですけど。なんか将来的には僕はその、そういうこととか、本当その教えるとかしか、今方法が見えてないんですけど。そういうような建築設計事務所作りたいなとは今思ってまして。えっと、実際に、そのまあ、やりたい思いとか、さっきお話した感じで、みんなで建物を作って、テーブルあったらおもしろいね的な感じなんですけど。だけど、それをするために、そのやっぱ学生でしか、そのリノベーション系ってなかなか回してもらえないことが多いんですよね。その、基本的な問題が1番主にかかってくるんですけど。本当に仕事でやるなら、本当に専門的な知識とかすごく必要になってきちゃって。卒業したらそのままじゃあそこに就職すればいいじゃんって話も一応あると思うんですけど。なんか、その前に、福島県外の事例ももっと調べたいなとか思ってまして。なかなか福島県少ないんですけど、その新潟とかに行くと、そういう空き家改修のプロジェクトがたくさんあったりするので。そこらへん研究にして、学んだりして。まあそしたら福島県外の大学行けよって感じなんですけど。ちょっとそこはいろいろ、ありまして。そしたら大学は福島県に行って、もう少しこう、県外の事例学んでから、福島戻るのもありかなとかですね。その知識が現状でやっぱ、日大に限らないんですけど、建築学科って本当、実務が全くないので。就職しても本当に、ほぼほぼ、あんまり役に立たないというか。本当に基礎の基礎くらいしかできないので。なんかもう少し建築、ほんともう少しこう建築を学びたいとか、自分の中にありまして。実務って言うと、なんか建築っていうと、建設というかこう、お仕事感が強いというか。あまりこう、夢がないというか。本当に、仕事にけっこう、建築業界ブラックなので。こう、仕事に振り回されちゃう気がしてて。そうじゃなくてもっとこう、学問として建築を学びたいなと思います、僕、今。 ありますね。

1:10:22(タイムスタンプ)

高坂:そうですね。本当今やってることの仕事バージョンっていうか。もっと大きなバージョンを仕事にできたらいいなとは思ってはいるんですけど。

―今やってることは将来にも繋がっていくと。

高坂:一通りはあるのかなと。

八代:まず、まあ就職で考えておいて。で就職も地元に戻ろうと思ってて。本当になんか、もともと、その自分の住んでたところが好きだったんですけど。もう大学で、こっちに来てみて、なんか、もっと、もっと地元が好きになって。でその、さっきの、自分で話した中に出てきた、高校のすぐ近くの、神社からの歴史的な街並みとか、を再利用するとか、そういうところが、もっとちゃんと関われるようになりたいなとか。あとはその、地元がすごく過疎化がものすごく進んでて。なんかけっこう住みやすい地域ではあるんですけど、みんな外にやっぱり出て行っちゃってて。なんか、もっと地元の活性化というか。住人、人口を増やすっていう方よりも、まずはこの地域に来る人っていうのを増やせるような、立場というか。それを、建築、自分のできる建築の分野で、どうにかできないかなっていうように、考えています。

―地元がもっと好きになったのどういった経緯で?

八代:ええと、やっぱりその、古い建物が残ってるっていうのは、まず1個なんですけど。やっぱり、住みやすい。なんか全然住みにくいところとか、不便な点があるわけじゃ、全然なくて。本当に自然が多すぎるぐらい、多い場所なんですけど。自然も多いけど、全然利便性はけっこう、そう、住民から見たら全然良くて。で、なんだろう、アーケード街も、もともとあった、アーケードも残ってはいるんですけど、それが全部シャッター街になってるっていうのがすごくもったいないので。その、いいものが残ってるっていうのが、やっぱりちゃんと使いたいなあっていうのもあって。あとはなんだろう、織物で昔盛んだった地域だったので。西の西陣東の桐生って言われてたぐらい、関西とこう、東日本西日本で昔わかれてる、その有名だった、地域ではあったので。なんかもっとそれ、ちゃんとアピールできないかなっていう。なんか、そこまでそんなド田舎っていうのはやっぱり、一部で。山の方の、本当に田舎がそういう、実際それは本当っちゃ本当なんですけど。でも全然なんだろう、住みやすい場所ではあるので。なんかもっとうまくやったら、ちゃんと活性化できるんじゃないかって思ってるので、それを自分の持ってる知識とか、技術とか、その建築の分野で、もっと人を取り込めるような地域にできないかなっていう感じで、地元に戻ってちゃんと仕事がしたいなって思ってます。

―建築分野でどうにかしてみたいっていうのは、シャッター街になってしまった商店街もそこに含まれてたりする?

八代:そうですね。

―他に何か可能性を感じている場所はありますか?

八代:ええと、何だろう。他には、なんかさっき言おうとしたんだけど出てちゃった、飛んでちゃった。建物は残ってるんですけど、あの、大正明治あたりからの建物がけっこう、この大正時代の、洋風っぽい感じの建物とか、というのも残っているものがあって。でも使われてはない。その、いい建物だから、歴史的なものとして残しておこうみたいな感じで、ただ残してるみたいな建物が、けっこう、ぽつぽつ残ってて。何してるのっていう感じなんで。すごくもったいないことしてるなって思って。

―八代さんが関われるとしたら、その建物をどうされたいですか?

八代:うーん、なんだろう、それこそ今やってる活動を活かして、リノベーションというか。外観を残して、中身を変えたいんですけど。その建物が残ってるのも、大きい通りに面してるので、人が利用できるような、お店とか。なんか飲食店があたりとか、観光地として使う、観光地にしたいっていう風に向けた施設になれば、ちゃんと、物産展だったりとか、案内所とか、そういう風に使えるんじゃないかなっていうかなっていうのを、使い方も考えながら設計はしてみたいですね。

下山田:これは将来的なことで、俺の将来的なこと言っちゃうと。その、自分的な考え的には、将来的に、例えばその、建築にとらわれすぎなくてもいいのかという風に思ってて。あのまあ、事務職、まあ経理とかそういう部門の、まあ裏方みたいな感じで、こうまあ●●に関わっていければっていう風に解釈していますね。えっと今のところはまあ、建築系統の管理事務とか、そっちのほうにも関われていければいいかなっていう風に思ってますね。その、あの今こっちに福島来てひとり暮らしして、やっぱりその、僕のまあ生活スタイル的なのもあるんですけど、そのやっぱり、田舎があまりあわないと。その、まあ高校3年間も電車通学して、満員電車の中、もみくちゃにされて。でもやっぱりその、こっちに来てその、交通とか、公共交通機関とか、利便性とか考えて。なんかその、機能美のまあ良さとか。社会システムみたいな。まあそういうところで、補助に入れたりとか、そういうところの自分がなんか、裏方で、何かできることはないかっていう風に考えたりはしてます

1:20:26(タイムスタンプ)

―とらわれなくてもいいと思うようになったのはどういう経緯が?

下山田:そうですね、1つあるのはその、今まで現場系のことが、多くやってきたところがあって。ものを作ったりとか、そういうことがあって。そこからその、他の目線的な感じでその、うちの周りでそういう、勤めてたりしてて。なんか経理とか、そういう部門で、やっぱ頼られるっていうのは、非常に大きなものなのかなと、思ってですね。そういうところで、僕も何かできたりしないかなって思ったことがあったんですね。

―そう思うまでの流れを詳しく聞かせてください。

下山田:うちの親がなんかいろいろあの、いろんな会社を転々としたりとか、してたりするんです。まあ今はなんか、あのなんか、新しくレザーショップをやり始めてなんか。何の仕事をしてるのか僕もよくわかってないです。で、まあそういうのでやっぱりその、要はお金関係ですね。そこら辺をなんか綺麗にまとめられる方法はないかとか。いうのがあって、なんかそういうのをなんか、個人でできたら、いろいろ便利になっていくのかなって思ったのは、きっかけっていう風にはなるんですね。

―親御さんの働き方を見てそう考えられたんですね。

下山田:そうですね。

―田舎があわないと思う要素はどんなものがありますか?

下山田:えっとまあその、田舎が合わないっていうか、そのなんですか、その車社会っていうのがあんまり合わなかったんですかね。何かと移動の面とか全部車でっていう、個人でって。だからそう、どっちかって言うと電車が好きなのかもしれないんですよね。電車に乗ってどっかに行くっていう。そういう行為自体が、たぶん好きだから、そっちの方が自分に合ってるのかなと。生活スタイルですね、そこは。

―理想の生活スタイルがもうご自身の中で固まっている。

下山田:そうですね。


1:25:あたり インタビュー完了


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